私が、現在の仕事をすることになった入り口に、大学での心理学の授業があります。
入学して一番最初に、心理学領域の授業でお世話になったのが、泉ひさ先生でした。
その泉先生が亡くなったと、大学の同窓会報で知りました。
ゼミ生ではなかったので、個人的なお付き合いが続いていたわけではなく、直接お会いしたのは、喜寿のお祝いの集まりの時だったと思います。
93歳というご長寿でもあったので、天寿を全うされた、という受け止め方もできるのかもしれません。
でも、自分でも驚くほど、それなりにショックを受けていて、急に大学時代の友人たちにメッセージやらメールをしてしまいました。
お亡くなりになったのが、コロナウィルスの感染が拡大していた2月の終わりだったそうで、ご葬儀は、聖歌隊と限られた人だけで行われたと知りました。
泉先生は、南山大学の前身である名古屋外国語専門学校の出身で、同窓会のためにも長年尽力されていました。
そのご功績を考えると、コロナウィルスのことさえなければ、もっと盛大にお見送りができたのではないかと、ほんとうに寂しい思いです。
大学のG棟大教室での一般教養の心理学。
居眠りしても目立たぬようにと、だいたい後ろの方の席で受けていました。
遠く離れた教壇で、泉先生がエネルギッシュに話をされていた光景は、鮮明にではないですが、ぼや~っとした映像で脳裏に浮かびます。
この機会に、本棚からテキストだった本を出してみました。見るのは本当に久しぶりです。
中には、かなり書き込みもしていて、それなりに真面目に受講していた様子が伺えます。
でも、テストの出来が悪かったらしく、なぜか成績は“C”。優良可で言えば「可」。ギリギリセーフラインです。
「嘘だ、そんなはずは・・・」自分でも愕然とし、恥ずかしくて、誰にも言えませんし、泉先生に、どこがダメだったのかと聞きに行く根性もありませんでした。
今でこそ、大学の先生方も女性がたくさんになりましたが、当時は、学科内では泉先生だけでした。
女性が男性と同じように働くことが珍しかった時代から、ずっと第一線でいらしたのに、ほんとうに気さくで、同窓生同士の縁結びにも熱心な世話好きな先生でした。
泉先生と言えば、大学祭で、学科のメンバーで団子屋の模擬店を出したとき、店名を「ひさや」にしたなぁ、ということも、芋づる式に思い出しました。
お孫さんの顔を見に、聖霊病院の新生児室を覗きに行ったこともありました。
いろいろ思い出します。
もう一度お会いできたらよかった・・・。